カタカナが日本語を食い尽くす?中国から学ぶこと
中国人ChyntiaとCafeでの雑談。
彼女はお父さまのお仕事が日系であることもあり、日本への就職を目指す大学院生。
Language Exchangeという名目で、二人で定期的に会っている。
といっても結局英語ばかりの女子の雑談。
日々のこと、アメリカのこと、お互いの国のこと、恋愛から政治に至るまで何でも。
彼女は非常にスマートで自分の考えをしっかり持っている。
その中で、カタカナについての話題。
カタカナは外来語を表現するのは共通の理解。
その上で、カタカナがあることで、日本語が失われいく可能性について。
そんなこと考えたことなかったわ!
意識高い系の人たちは良く、カタカナ語を使う、という話をした流れ。
でも確かにその可能あるかも。
今では当たり前になった”ミーティング”、”スケジュール”。
良く聞くよね、水筒という名の”ボトル”。
””サジェスチョン”?”コンセンサス”?なんだそれ?
あのね、中国では外来語に対して、あえて漢字をあてているんだって。
それは文化を守っていくため。
彼女曰く、日本の漢字は美しい、と。
中国では既に簡素化されてしまった古い漢字が多くある、と。
(中国では漢字だらけだから、早く書くために中国漢字は簡素化されていくのだ。)
最近、日本人の絶滅について考えることがあったこともあり、
なんと刺さるテーマ。
将来日本人が絶滅したとしても、日本の哲学、文化、美しさ、は残したい。
そういう誇るべきものは、未来に、誰かに受け継いでほしい。
そんな思いに駆られる週だった。
意識高い系は粋がってる場合じゃないぞ!こらっ